
鍼灸・マッサージ師
アスレティックトレーナー
渡辺 哲史(わたなべ さとし)
「痛みや不調の先にある、より良い毎日」をサポートします。
20年にわたる臨床・現場経験をもとに、一人ひとりの体に向き合い、根本から整えるケアを提供しています。
治療やトレーニングの現場で出会うすべての方に、「体が変わることで人生が変わる」という実感を届けたい。
そんな想いで日々取り組んでいます。
少しでも皆さんのお力になれるよう、日々進歩する気持ちを忘れず、技術と知識の向上に励んでまいります。
自己紹介
名前 渡辺哲史(わたなべさとし)
生年月日 1983年10月10日
出身地 愛知県名古屋市
学歴
2002年 名古屋高等学校卒
2006年 中京大学 体育学部 体育科学科卒
2009年 中和医療専門学校卒
保有資格
鍼師・灸師・あん摩マッサージ指圧師(国家資格)
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
保健体育教員免許
現在
アップライフ治療院 代表
日本オリンピック委員会強化スタッフ(医・科学スタッフ)
施術・コンディショニング・セルフケア指導などを行っています。
パーソナル情報
【趣味・好きなこと】
キャンプ・海外旅・海水浴・バスケ・カフェ・飲み会
これまで訪れた国は、約20ヶ国。家族でも2023年に3ヶ月かけて、アジア6ヶ国を巡りました。特に現地の食文化や日本にはない開放感が大好きです。
【仕事の生い立ち】
高校時代、バスケットボール部でお世話になっていたアスレティックトレーナーの存在が、私の人生を大きく変えました。
「こんな人になりたい」と憧れを抱き、トレーナーを志すようになります。その思いを胸に、中京大学体育学部へ進学。
スポーツ科学を学びながら、現場で活躍するトレーナーのアシスタントとして経験を積みました。
卒業後は、中和医療専門学校に進学。
鍼灸あん摩マッサージ指圧師の資格を取得し、治療家としての道を歩み始めます。
その後、結婚を機に2009年に沖縄へ移住。
地域に根ざした医療活動を目指し、2014年に独立開業いたしました。
主なトレーナー歴
名古屋高等学校バスケットボール部 (2002~2006年)
JBL 三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(2003~2006年)
陽明高校・那覇西高校女子ハンドボール部(2009~2013年)
JHL琉球コラソン(2009~2013年)
沖縄県国体少年女子ハンドボール(2012年)
ハンドボール男子日本代表強化合宿(2013年)
ハンドボール日本代表男子U-16 日韓交流事業(2016年)
ハンドボール日本代表男子U-16 日韓交流事業(2017年)
ハンドボール日本代表男子U-21 第18回男子ジュニアハンドボールアジア選手権inヨルダン(2024年)
生い立ち
1983年10月10日愛知県名古屋市生まれ。父親は、製薬会社勤務、母親は元銀行員4歳上の兄に見守られながら、小さな病院で出産、温かい家庭で育ちました。

小学校から高校まではバスケットボールに打ち込み、高校生の時に私の人生の歩みを決定する「出逢い」がありました。
バスケ部専属で週一度トレーナーの方が来てくれていました。
今でこそ、部活にトレーナーという職業の方が多く見受けられますが、当時は非常に珍しかったかと思います。
当時、捻挫や肉離れなど怪我が多く悩んでいたこともあり、よく相談に乗って頂き、リハビリやテーピングをしてもらい試合に出場していました。
それがきっかけで選手をサポートする「アスレティックトレーナー」という職業があることを知りました。
そして、部活を続けながら自分のプレイヤーとしての状況とチーム状況を考え、自分がプレイヤーでいるよりも裏方で選手をサポートする立場になった方がチームの為になると思い、高校二年の途中からマネージャーになることを決意しました。
マネージャーというチームの役割を通して、毎週トレーナーの方にストレッチやマッサージ、テーピングの巻き方などを教わりました。
そして、高校三年生の最後の大会にて惜しくも準優勝で終わり、全国大会出場という目標は叶わなかったのですが、試合が終わって最後まで戦った同級生や後輩から感謝の気持ちを言葉でもらった時に、選手のために行ったことが、何倍にもなって自分に返ってきたことが忘れられない思い出となっております。
そういった経験から、これほどにやりがいのある仕事が将来の職業になっていたら、こんなに素晴らしいことはないと、この仕事を目指すきっかけとなりました。
高校卒業後は、高校の時にお世話になっていたトレーナーの下で勉強したいという思いが強く、進路は幅広くスポーツ科学の学べる中京大学の体育学部に進学しました。
そして、今でこそあまりないかもしれませんが、丁稚奉公のように師匠と弟子という関係で、学校のない時間帯は師匠のいる治療院で治療見学をさせて頂き、雑用を行いながら、マッサージやテーピングを教わり、また人としてのマナーなどの教育を受けました。
一番は、師匠の話し方から身振り、手先までを全て観察し、「盗む」ことで覚えていくことが大切でした。
平日は、大学が終わり次第治療院にて学び、週末は陸上・バスケ・バレエなどの競技にてトレーナー活動をさせて頂きました。
こういった同じような志の仲間が他にも10名ほどいて、毎晩交代で夕食を作り、皆で同じ釜の飯を食べ、遅くまで勉強させて頂きました。
大学生らしい生活は送れませんでしたが、休みなしの日々からハングリー精神はとても鍛えられたと思います。
また、日本代表など第一線で活躍するアスレティックトレーナーの方のアシスタントをしながら、その姿を間近に拝見できたことは本当に貴重な経験でした。
今の自分の原点となっております。
最大の試練からの帰還
大学卒業後、鍼灸治療の必要性から中和医療専門学校に進学したタイミングで、情けないながらも、トレーナーという仕事の現実の厳しさについていけず、師匠の元を離れました。
今となれば、何よりも一番に時間が欲しかったのだと思います。若さ所以のものもあったかと思います。
それでも将来チャンスがあればトレーナーとしてまた現場に立ちたいという想いはあったので、専門学校に通いながら、整骨院やリラクゼーション施設などでアルバイトをしながら下積みを積んでおりました。
併せて、飲食や派遣業、新聞配達など他業種のアルバイトも経験しました。
その時は、一旦トレーナーという仕事から離れ、この仕事以外の世界を知ることが出来たのも、今となっては大きな財産かと思います。
人生を違った角度から見れ、広い視点で考えられるようになりました。
そして専門学校卒業後、婚約相手が沖縄出身ということで沖縄に移住することを決意しました。
親元も地元も一度も離れたことのない私が沖縄で生活することができるのか、また、沖縄で将来開業できるのかなどの大きな不安があり、何度も沖縄に赴き、現地の鍼灸院や整骨院を回り沖縄での開業についてお話しを聞かせてもらいました。
また、移住するタイミングで就職先を探していたところ、専門学校の同級生に偶然紹介してもらった先が、長年名古屋でハンドボールの日本代表などのトレーナーとして活躍されていた先生ということもあり、就職をお願いしました。
初めは、あの時間に追われる日々が再び舞い戻るのかという心配もありましたが、どこかで「運命的」なものを感じました。
もう一度頑張れと、「For the Athlete」
選手に尽くせと、天からそう言われている気がしました。
今となっては、こういう巡り合わせというものに本当に自分は恵まれていると思います。
最適な環境で、トレーナーとしてもう一度チャンスが来たと、素直にとても嬉しかったです。
その就職先では、小・中・高の学生を対象としたスポーツ障害についてのトレーニング指導、コンディショ二ング指導などの講師や、中・高・実業団の県内大会・全国大会にて多く帯同させて頂きました。
念願の開業
2014年1月20日ついに10年以上前から夢だった鍼灸院の開業を迎えました。
それと同時期に子供に恵まれ、仕事と子育てに忙しい毎日に幸せを日々感じております。
(写真)ハンドボール日本代表男子U-16日韓交流事業
開業してから、男子ハンドボール代表の合宿やU-16ハンドボール日韓戦のトレーナー活動に携わらせて頂いたりと、夢にまで見た日の丸を付けたトレーナー活動も経験できました。
何度も挫折もありましたが、本当に継続してきて良かったと心からそう思えました。
バスケ部時代に高校の恩師の言葉「継続は力なり」という言葉がいつも心に残っています。
2024年は、U21男子ハンドボール代表に約1ヶ月帯同させて頂き、中東のヨルダンにて行われた「第18回男子ジュニアハンドボールアジア選手権」にて優勝し、アジアチャンピオンに輝きました。

私のトレーナー人生の中でも、最高の舞台、最高の瞬間でした。
最後に

地元名古屋・第二の故郷沖縄に強いご縁を感じております。
慣れ親しんだ街、慣れ親しんだ空気、本当に今まで恵まれた環境と沢山の方に恵まれて生きてきました。
必ずいつか何らかの形として、皆様に還元します。

